何が、なぜ、好きなのか:『好き嫌い――行動科学最大の謎 』
- 作者: トムヴァンダービルト
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/06/30
- メディア: Kindle版
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そして友よ、君たちは私に、趣味や嗜好をめぐる論争はできないというのだね?だが、およそ人生とは、趣味や嗜好をめぐる争いではないか!
という『ツァラトゥストラはかく語りき』の引用で始まり、色、食べ物、音楽、絵画、猫、ビールなどいろいろな例を通して個人と社会が何を好み、何を嫌うのか、その背後の理由は何なのか、なぜ流行(社会の好み)は移り変わるのか、について書かれた本。
それらの実例についての話も面白かったですし、嗜好に関して一言あるいろいろな人(研究者や哲学者など)の言葉がたくさん引用されていることも面白かったです。
訳文も読みやすく、すらっと読めました。
以下、印象に残ったり、なるほどと思った文章の一部です(その下の一文は本文の内容とはあまり関係のない自分のメモ)。
私たちはもっとも好きなものの色を好む。
自分が黒が好きなのはガジェットやゲーム機が黒いから?
どんな行動もたんに個人の選好に帰すことができ、それがために選好は「あらゆるものを説明でき、したがって何一つ説明できない」
「好きだから好き」は思考放棄とも言える。なぜ好きか、までを考えると何かが説明できるようになるかもしれない。
経済学者は選択は好みを「示している」と考えるが、心理学者は逆に選択が好みを生むのではないかと考える。
選んだものを好きになり、好きになったものを選ぶというフィードバックループが回るので、どちらも正しいが、ニワトリと卵の問題となる。
好みとは、つまり期待と記憶のことなのだ。何かをたのしみにしているときでも、それを前回たのしんだときの記憶をふり返っている。
類似の何かの記憶と関連付けられない、全くの未知のものをたのしみにすることはできない。
「今日はタイ料理は食べたくないな、昨日食べたばかりだから」などというのを聞いて考え込んでしまうことがよくあるという。タイ人はタイ料理を毎日食べているではないか!
確かに!
不平は標準的なパターンに沿う傾向がある。「褒め言葉、プラス『しかし』、プラス話題の切り替え」というパターンである。ふつうは最初に褒め言葉がくる。「私が理不尽なわけではない」とあらかじめ断っておくかのようだ。
自分もやりがちなパターン。誰にともなく「自分は客観的にみて評価していますよ、良い部分もみれていますよ」という言い訳をしている感がある。
投稿されるレビューが増えるにつれて、話題は本の内容よりもほかのレビューの内容に関することが多くなる。過去のレビューにふれるときは、否定的なレビューになりやすい。前後関係がレビューの場を支配する。
Amazon でよくみるレビューの応酬と、星の帳尻合わせ(誰がが不当に低い星をつけていると思うと、自分は自分が思っていたものよりも多く星をつけたくなる)。
社会的地位が流動的なものになって人々が不安を感じ、これまでの文化的権威が通用しなくなった時代には、芸術や文学に対する判断がこれまで以上に個人的かつ主観的に ─ 個人の基質がそこに表われ、したがってかつてなく重い意味を帯びるように ─ なっている。
何が好きで何が嫌いかがその人の個性になり、その選択の責任がその人自身にある世界。
趣味は人とは違っていたいと思うときに変わり、また人と同じになろうとするときにも変わる。集団は趣味をほかの集団に「伝播」させるが、趣味そのものが集団を形成させもする。
流行りすぎているものにはちょっと引くけど、完全に孤立はしたくない、そんな感じ。
「個人の意思決定が社会的影響を受けやすい場合、市場はただの個人の選好が集約されたものではない」
そして何が流行るか、売れるかの予想はより難しくなる。
よいかどうかを判断するには、その前に何としてよいかを決めなくてはならない。
無差別級の『ザ・ベスト』などありえない。カテゴリに落とし込まないと評価できない。
私は果てしない堂々巡りに陥ったままだった。よいビールとはなんだろう?よいビールとは基準を最も満たすビールだ。何がその基準になるのだろう?ビールをよくすると人々が考えるものだ。その繰り返し。そして、さらに疑問が重なる。よいビールとは基準を最も満たすビールだ。それならなぜ基準は変わったのだろう?何がよいビールかについての考えが変わったからだ。では、以前によいビールだったものは、もうよいビールではないということか?
「趣味・嗜好は変わる」という人間の性質がある限り、絶対的な基準ができることはない。今日名作とされている芸術品の多くは発表当時はそれほど評価されていなかったし、今日の傑作も未来では見向きもされなくなっているかもしれない。
好きときらいはトップダウン処理の先入主となって、対象をありのままに経験するのを妨げかねないのである。好きかきらいかという問いは、しばしば会話がぐんとおもしろくなる芽を早々に摘んでしまう。
きらいなものも「きらい」と切り捨てないで、何がどうだからどう感じたということを語れるようになりたい(しかし直感的に「きらい」(すくなくとも好きではない)と思ったものについて深く考えて言葉を尽くそうとするのはあまり楽しくはなさそうかなぁ)
キーワードは目新しさとなじみ深さ、同調と差異化、単純さと複雑さ。
これらのせめぎあいが、絶えず個人と社会の嗜好を相互に変化させる。
何が好きかよりも、なぜ好きかを考えるほうが面白い。
「何が好きか」を考えることは単なるリストづくりで終わる。「なぜ好きか」までを考えるとパターンが見えてくる(かもしれない)。