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本やゲームの感想など

余裕は贅沢ではなく必需品:『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』

時間や金銭に余裕がないという状況は、それ自体が認知能力を低下させて状況をより悪化させかねないということを様々な実験を通して明らかにし、余裕(=スラック)を持つことの大切さを解く本。

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

差し迫った締め切りが集中力を生み出し、金欠が節約を意識させるように、短期的な時間や金銭の欠乏はその対象に対する注意力を増加させる効果があるが、一方でそれ以外の事象を視界の外に追いやってしまう(トンネリング効果)。

そのような状態が続くと考え方が近視的になり、根本的な問題解決に向けた創造的思考を行う余裕や、不測の事態に対応するだめの柔軟性も失うことになる。

不測の事態は常に訪れるものであるため、個人も組織もそれらに備えられるだけの余裕を予め意識的に組み込んでおくべきである。それにより、創造的思考を働かせる余地が生まれ高いパフォーマンスを維持することができる。

人の豊かさは気にしないでいられるもの数に比例する

微生物も積もれば巨人となる:『見えない巨人―微生物』

微生物に関してはほとんど何も知らず、せいぜい細菌のイメージが先行してなんとなく良い印象は持っていないという程度だったのですが、本書で微生物の多様性と有用性を窺うことができました。まさに「知らなかったことを知る」ことができて大変満足です。

本書を読み終わった後での「微生物」のイメージは「超効率的な分子機械」です。微生物という大きな括りに良い悪いと判定を下すことはできず、個々の微生物次第、あるいは使い所次第で有益にも有害にもなる、ある意味「科学」にも似たような広い領域を指すのだと思いました。

見えない巨人―微生物

見えない巨人―微生物

微生物とは何か?という問いに対する答えから始まった後、「発酵」、「病原」、「環境」を大項目としてそれぞれで微生物が果たしている役割や仕組みが解説されています。病原としての微生物がなぜ既存の抗生物質に対して抵抗力を持つようになるのかや、環境保全や工業品生産における微生物の役割などが興味深かったです。

小説感想:『戦場のコックたち』

青春ミステリという紹介をみましたが、青春という言葉から連想するような爽やかさからは遠く、ミステリ要素もあくまで(良い)味付けで、全体としては「戦争もの」。

戦争の描写はしっかりと厳しく、コックとして戦争に参加した主人公もいつの間にか戦闘に慣れ戦争に染まってしまっている様子の描写やビターエンド的なエピローグが印象的でした。

戦場のコックたち

戦場のコックたち

皮膚がふやける理由:『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか』

触覚に関する身近な様々な疑問に対して、今までに解明されている脳や神経といった解剖学的な仕組みから科学的に説明していて、読みやすく面白かったです。

触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか

触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか

温かいコーヒーを持たせた被験者は架空の人物を温かい人、冷たいコーヒーを持たせた被験者は同じ架空の人物を冷たい人と評価する傾向にあり、重たいものを持たせた場合には真剣さといった重々しさを感じさせる項目を高めに評価する、といった触覚が統合的な印象にもたらす錯覚的な側面から、トウガラシを熱い、ミントを冷たいと表現するのが世界共通なのは、皮膚にそれぞれが持つ化学物質に対する反応を示す神経終末がある、といった単独的な触覚感覚の仕組みまで、幅広いトピックが扱われていました。

一番記憶に残っている豆知識は、お風呂やプールなどに浸かったままでいると皮膚がふやけるのは角質に水が染み込んだからではなく、(タイヤの溝のように)濡れたものに対する保持力を高めるためであると推測されていること。神経の切断などによって脊髄から皮膚への信号伝達が妨げられている場合にはふやけないそうです。なるほどー。

適度な速度(5cm/秒程度)で撫でられた場合に反応を示す「愛撫専用」とも言えるような神経があること、性的嗜好の一部は神経の分布によって説明ができる、性器は敏感な器官だが空間的な分解能は低いので点字は読めない(実験済み)など、性的な記述が多いのにはちょっと予想外でしたが、まぁ触覚の中でも特有だからでしょう。

いろいろな事例・事実が紹介されていて楽しめました。

「気づいた時」には脳で何が起こるのか:『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』

被験者の自己申告による「気付き」に焦点を当てて科学を遂行するという試みが、単純でありながらなるほどと思えて面白かったです。

無意識と意識の違いに焦点を当て、錯視や認識できるかできないかの境目となるような情報の提示方法を利用し、同じ刺激に対して被験者が気付く・気付かないの違いがどのような脳の活動の違いに基いているのかを調べることで、意識される経験に特有の脳の活動を明らかにしています。

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

意識と脳――思考はいかにコード化されるか

それによると、意識されない経験は脳の下位組織から上位組織に向けた刺激の伝達に留まるのに対し、意識される経験には上位組織から下位組織へのフィードバックを含めた脳の広範囲で同期される情報の交換が存在するとのこと(グローバル・ワークスペース理論)。

また、この反応を基準として赤ちゃんに意識はあるのか、植物状態の患者に意識があるのかといった判定に用いることもできるそうです(ただし偽陰性の問題は排除できない)。

以前読んだ「意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論」にかなり近い本ですが(だいぶ内容を忘れてしまいました。また読みたいです)、やはり意識や脳といった人体、すなわち自分が自分の本質だと思っているものは一体何なのか、という事を考えさせてくれる本は面白いです。