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本やゲームの感想など

遺伝子の協力と裏切り:『遺伝子の社会』

遺伝子が後世に伝わり進化や変異が生まれる様子を、遺伝子の集まり(ゲノム)を社会、個々の(対立)遺伝子をその構成員とみなして解説した本。

読み物としてはちょっと堅い感じで、説明される個々の例には専門的な用語も多いですが、遺伝子の集まりを社会と見なし、その社会(=種・個体)が各々の遺伝子の協力(というよりは協調動作)や裏切り(一方的な利用)などによって変化していくという比喩はわかりやすく納得のできるものでした。

遺伝子の社会

遺伝子の社会

砂糖・塩・脂肪:『フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠』

とても素晴らしいビジネスドキュメンタリー本でした。副次的な作用として、間食の予防、ダイエットにも役立ちそうです。

煽動的なタイトルとは裏腹に*1、常識的な消費者の視点で加工食品業者が行っている商品戦略、マーケティング戦略の裏側、負の影響を徹底的に暴きながらも、彼らを一方的な悪者にはせず、なぜ彼らがそうせざるを得ないのか、という状況までしっかり踏み込んで書かれています。

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠

つまるところ、加工食品業者は営利企業であり市場競争(とウォール街)のプレッシャーにさらされているため、消費者が求める商品を作る、より多く売る必要に迫られています。本書では、いかに砂糖、塩、脂肪といった添加物(の主に増加)が消費者の心を掴むのに役立ち、売り上げに響くのかということが詳しく書かれていたので、それらに頼ることを一方的に責めることはできませんでした。

また、健康志向が高まってきた消費者に対して、マーケティングを通じて商品を実態よりも健康的に見せようとするのも、当然の戦略です。

もちろん、行き過ぎたロビイングや研究結果の歪曲した報道、消費者を騙すような狡猾な広告・パッケージなど、看過できないような手段が用いられることもあり、それらには憤りを覚えますが、「企業は消費者のニーズに答えようとしており、食品に関して人は健康的かどうかよりも味・低価格・利便性を求めている(ことが多い。少なくとも現在は。)」という本質を変えることはできません。

その辺りを冷静に鑑みた上で、賢く加工食品と付き合っていけるようになりたいと思います。

向こうは塩分・糖分・脂肪分を手中にしている。が、最終的な選択権はわれわれの手にある。何を飼うかを決めるのは私たちだ。どれだけ食べるのかを決めるのも私たちである。

*1:もっとも、原著のタイトルは「Salt Sugar Fat: How the Food Giants Hooked Us」であり、「トラップ」という明確な悪意を連想させる言葉は使われていませんが

SIY:『サーチ・インサイド・ユアセルフ』

瞑想関係の記事を見るたびに「信頼の置けそうな研究結果も出てるみたいだしやってみようかな、でも何だか胡散臭いしなー。」と思い続けて1年以上が経過していたものの、最近精神的に辛く感じる機会も少なくないし今年は少し実践してみるか、ということで Google ブランドの信頼性にも期待して読んでみました。

サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

やはり本だけあって、5分程度で読めてしまうその手のネット記事よりも、瞑想の効果とその根拠や実践できるエクササイズなどが詳しく書かれています。「ネット記事の情報を読んだだけでは実践してみるモチベーションが起こらない」という自分に瞑想を行うメリットを納得させるために読んでみたので、(ある程度知っていた情報もあったとはいえ)本という形でじっくり読めたのは良かったです。

たまに読み返して、瞑想を行うモチベーションを継続させようと思いますが、はたして効果を実感できるのかどうか。3ヶ月後くらいに振り返ってみようと思います。

テクノロジーが注意を奪う:『神経ハイジャック ― もしも「注意力」が奪われたら』

2006年に携帯電話を操作しながらの「ながら運転」が原因で起きた交通事故を、関係者のバックグラウンドを詳細に調べてドキュメンタリー風の物語として進めながら、テクノロジーが浮き彫りにする注意力の限界やそれがもたらす社会への影響についてまとめ上げた 500ページ近い大作です。

ドキュメンタリー成分80% 科学成分20%程度といった印象なので、注意力に関する科学についてよく知りたい、という方は別の本を手に取った方が良さそうなものの、読み物としては十分に面白かったです。

神経ハイジャック ― もしも「注意力」が奪われたら

神経ハイジャック ― もしも「注意力」が奪われたら

本書の出版は2016年(原著は2014年)ですが、この本で採り上げられている事件が起きてから 10年以上が経過し、「携帯電話を使いながら運転するなんて危険」ということはもはや社会的な一般常識と化しているので、少し今更感を感じる部分はありました。

しかし、2006年当時でも人々に「ながら運転は危険だと思う。」という認識は(明文化はされていなくとも)ある程度あり、それでもただ「ついやってしまう」行為でした。そして「ながら運転は危険だという常識が広まっていても、未だにながら運転による事故は起きている。人がながら運転をやめられないのはなぜか?」という現在の状況について考える上でも、携帯電話(ソーシャルメディア・ニュース・ゲーム)が持つ、人の注意を惹き付ける魔力や、人の注意力の限界について取り扱ったこの本の内容には価値があるのではと思います。

例えば、本書で挙げられている

  • 人はメール(情報)の価値は極めて早く低下するものと考えている(反応しなければならないという切迫度が高い)
  • 人は情報を共有すると脳の報酬系が活性化される。その内容が誰かに伝えられるとわかっているときはその反応が増加する

という研究結果は、ながら運転をしたくなる衝動として(また、運転に限らず人の注意を惹きつけ集中力を奪う要因として)普遍性を持っており、その力は通信技術や(コミュニケーションツール・ゲームなどの)UXデザインの進展によって今後ますます強くなっていくものと考えられます。

自分は車を運転しないのですが、長距離運転の退屈さ、携帯電話が持つ暇潰しツールとしての魅力を想像すると「ながら運転」がしたくなる気がするのは十分に理解できます。そもそも注意力を、自分が望む以上に奪われる、という自体が問題になるのは運転時のみに限りません。

自分の注意力の限界を心に留めながら、通知に踊らされるようにならないよう気をつけたいと思います。


本書の難点を1つ挙げるとすれば、とにかく長いことでしょうか。例えば誰々はどこで生まれて、どういう暮らしをしていた、どこそこはどういう景色で、などの情報は、臨場感を出す上である程度は必要なのだと思いますが、全体として 500ページ程度になってしまっていることを考えるともう少し削ってコンパクトにしていただきたかったです。ちょっと疲れました。

言葉と思考:『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』

言語が思考に与える影響について、数々の説が主張され、そして否定される歴史を辿りながら、最近の研究成果を挙げて現在の知見をまとめている、科学系の読み物としてとても面白い本でした。

「年間ベストブックを多数受賞」だそうですが、納得です。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

本書の中で特になるほどと思った概念は「言語間の決定的に重要な違いは、話し手になにを表現することを許すかではなく、話し手にどんな情報を表現することを強いるかにある」という点です。

本書では例のひとつとして、私たちにとって前後左右という自身を中心した座標系を使うのが自然と思われる場面でも東西南北という地理座標系を用いる言語(例えば「ちょっと左に動いて」という場合には「ちょっと東に動いて」という具合になり、その方角は現在対象が向いている方角によって変化する)が紹介されているのですが、この言語を用いる人は絶対方向感覚とでも呼ぶような、自分や周りのものが向いている方角を把握する力を持っている(持つようになる)そうです。

他にも、情報の鮮度や一次性(直接見聞きしたのか、誰かから聞いたのか、それは何時なのか)について細かい区分がある言語や、男性・女性の区別が明確な言語(例えば一緒にいた人について語る際にその人の性別を隠すことができない)など、普段使う言語によって考えるべきことが誘導されることに面白いと思いました。

これは本書に書いてあったことではありませんが、日本人が上下関係や性別的なステレオタイプを意識しがちなのは、謙譲語、尊敬語が存在し、(基本的に)性別によって使用する一人称が異なる日本語によるフィードバックループもあるのではないでしょうか。

他にも、言語が持つ色名の区分によって、類似の色を見分ける速度が変わる(ほとんど反射的な作業と思われる単純タスクにも言語の認識が介入している)、色に名前が付けられる順番には多くの言語で規則性がみられる(黒→白→赤→…)など色についての話や、言語の複雑度(小規模社会で使われる言語は、多くの情報が単語内で表現される。コンテクストが話者間で共有されており、複雑な情報を含む必要性が薄いため)についての話など、興味深い話がありました。

「違いがあるから何なのか、例えば IQ だったり抽象的な問題解決能力に影響が出るほどの差なのか?」についての回答はほぼ確実にノーなので、「だから何なのか?これらについて知ったところで何か役に立つのか?例えばどの言語を学べば(子どもに学ばせれば)有益なのか」については「わかりません」と答えざるを得ません。そういう二次的な実益を求める本ではないです。

しかし、言語と思考という人間の本質的な部分について光を当て、好奇心を刺激してくれるこの本は、優れた科学本だと思います。