テクノロジーが注意を奪う:『神経ハイジャック ― もしも「注意力」が奪われたら』
2006年に携帯電話を操作しながらの「ながら運転」が原因で起きた交通事故を、関係者のバックグラウンドを詳細に調べてドキュメンタリー風の物語として進めながら、テクノロジーが浮き彫りにする注意力の限界やそれがもたらす社会への影響についてまとめ上げた 500ページ近い大作です。
ドキュメンタリー成分80% 科学成分20%程度といった印象なので、注意力に関する科学についてよく知りたい、という方は別の本を手に取った方が良さそうなものの、読み物としては十分に面白かったです。
- 作者: マット・リヒテル,小塚一宏
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2016/06/21
- メディア: Kindle版
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本書の出版は2016年(原著は2014年)ですが、この本で採り上げられている事件が起きてから 10年以上が経過し、「携帯電話を使いながら運転するなんて危険」ということはもはや社会的な一般常識と化しているので、少し今更感を感じる部分はありました。
しかし、2006年当時でも人々に「ながら運転は危険だと思う。」という認識は(明文化はされていなくとも)ある程度あり、それでもただ「ついやってしまう」行為でした。そして「ながら運転は危険だという常識が広まっていても、未だにながら運転による事故は起きている。人がながら運転をやめられないのはなぜか?」という現在の状況について考える上でも、携帯電話(ソーシャルメディア・ニュース・ゲーム)が持つ、人の注意を惹き付ける魔力や、人の注意力の限界について取り扱ったこの本の内容には価値があるのではと思います。
例えば、本書で挙げられている
- 人はメール(情報)の価値は極めて早く低下するものと考えている(反応しなければならないという切迫度が高い)
- 人は情報を共有すると脳の報酬系が活性化される。その内容が誰かに伝えられるとわかっているときはその反応が増加する
という研究結果は、ながら運転をしたくなる衝動として(また、運転に限らず人の注意を惹きつけ集中力を奪う要因として)普遍性を持っており、その力は通信技術や(コミュニケーションツール・ゲームなどの)UXデザインの進展によって今後ますます強くなっていくものと考えられます。
自分は車を運転しないのですが、長距離運転の退屈さ、携帯電話が持つ暇潰しツールとしての魅力を想像すると「ながら運転」がしたくなる気がするのは十分に理解できます。そもそも注意力を、自分が望む以上に奪われる、という自体が問題になるのは運転時のみに限りません。
自分の注意力の限界を心に留めながら、通知に踊らされるようにならないよう気をつけたいと思います。
本書の難点を1つ挙げるとすれば、とにかく長いことでしょうか。例えば誰々はどこで生まれて、どういう暮らしをしていた、どこそこはどういう景色で、などの情報は、臨場感を出す上である程度は必要なのだと思いますが、全体として 500ページ程度になってしまっていることを考えるともう少し削ってコンパクトにしていただきたかったです。ちょっと疲れました。