小説感想:『タタール人の砂漠』
- 作者: ブッツァーティ,脇功
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/04/17
- メディア: 文庫
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そのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった、その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過ぎていくものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。 ... いいことは後ろに、はるか後ろにあり、彼はそれに気づかずに、通り過ぎてきたのだと。ああ、もう引き返すには遅すぎる、...
曖昧な根拠のない希望に縋って「何か特別なこと」を待ち続けた一人の男性の、平凡な悲劇の物語。
劇的なことはほとんど何も起こらないので、小説として娯楽性が高いとかそういう方向の作品ではないのですが、我が身につまされるというか、「時間と若さは大切であり、失ったそれらを取り返すことはできない」という当たり前のことが、その辺の自己啓発的な本や文章よりもよほど身に染みました。
章ごとに加速度的に年月が経過する構成が人生の密度の差を表しているようで、そしてそれが自分の人生にもあてはまってしまいそうで、何ともおそろしいです。おそろしいと感じたことをバネに、何とか少しでも間に合うことから頑張りたいところ...。
「ジョバンニ・ドローゴよ、気をつけよ」と彼に言う者は誰もいなかった。青春はもうしぼみかけているのに、彼には人生は長々と続く、尽きせぬ幻影のように見えた。ドローゴは時というものを知らなかった。この先き、神々とおなじように、何百年と青春が続こうが、それさえも大したことではないだろう。ところが、彼にはただの、人並みな人生しか、両手の指で数えられるほどの、ごく短い青春しか、そんなみすぼらしい贈り物しか、与えられていないのだったし、そんなものは気づくよりも前に消え失せてしまうだろう。