モノとして認識される人:『Dehumanizing the Lowest of the Low』
直訳すると『下の下の非人間化』、意訳すると『最低な人は人であらず』といったところでしょうか。
何かの本(たしか『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』)で紹介されていて、気になっていた論文を読んでみた内容のメモです。
興味を持った方は元論文をどうぞ。
結論
敵対的で、かつ能力が低いとみなしている人を見たとき、脳はモノを見たときと同じような反応を示す。
ベースとなるアイディア
ステレオタイプコンテントモデル (Stereotype Content Model : SCM)
人は「自分とは違う人(達)」に対して、さまざまなを偏見を抱くが、ステレオタイプコンテントモデル(Stereotype Content Model : SCM)というモデルでは偏見を友好度(warmth)と能力(competence)という2つの評価軸からなる4つのグループに分類する。
そして、この4つのグループをそれぞれ、誇り、嫉妬、憐み、嫌悪を想起させるグループと位置付ける。
この中で、友好度が低く、能力も低いとみなされるグループ(Low-Low グループ)が、嫌悪を発生させる、もっとも有害な種類の偏見である。また、嫌悪は人に対してもモノに対しても向けられるという点で、ステレオタイプコンテントモデルの中でも独特な感情と言える。
※ 図中枠内の、各グループに属する人は代表的な偏見の対象の例であり、能力が高く誇りを抱かせるような老人や障害者、友好的で尊敬できる政治家などは現実に存在する。
偏見と人間性の否定
人の偏見による差別の歴史では、ナチスドイツによるユダヤ人迫害やグアンタナモ収容所における捕虜への非人道的な扱いなど、差別の対象を人間以下として扱ってきた例が多く見られる。後に差別・迫害の実行者の多くが「相手を人として見ないようにしていた。」と証言している。
前頭前皮質内側部(Medial Prefrontal Cortex : mPFC)
神経科学の研究と fMRI の計測結果により、人が社会的認知のタスク(=人を対象としたタスク)に取り組むときには脳内の前頭前皮質内側部 (Medial Prefrontal xortex : mPFC)という領域が活性化されるということが明らかになっている。
また、この領域はモノを対象としたタスクに取り組んでいるときには活性化されないこともわかっているため、対象を人と認識しているかモノとして認識しているかの判断基準となる。
つまり:導き出される仮説
友好度、能力ともに低いグループとみなされる人、つまり嫌悪と人間性の否定の対象となる人を見たとき、観測者の mPFC は活性化せず、モノを見たときと同じような反応を示すのでは。
実験
ステレオコンテントタイプモデルの各グループの感情(プライド、嫉妬、憐み、嫌悪)を想起させる人の画像と、モノの画像を用意する。 人の画像については、どのグループに属するかは事前アンケートの集計結果によって決定している。
これらの画像を、脳スキャナーに入った状態の人に見せて脳の活動を計測する。
結果
プライド、嫉妬、憐みを想起させる人の画像を見せたときには明らかに mPFC の活動が見られたのに対し、嫌悪を想起させる人の画像を見せたときには有意な mPFC の活動は見られなかった。
その代わりに左側島皮質(left insula)、右側扁桃体(right amygdala)での活動が見られた。この活動は、嫌悪感を催すモノの画像に対する反応と一致した。
また、モノの画像を見たときには基本的に mPFC の活動反応はなかった。唯一、嫉妬を感じさせるモノの画像を見たときに若干の活動が見られたが、これはそのモノが人の存在を想起させるようなモノ(お金の画像が、お金持ちを想起させるなど)だったためと考えられる。
感想
この「偏見による対象の非人間化」はどの程度の学習で起こるのかが気になりますね。スタンフォード監獄実験の例を考えると、たった数日で起こりそうな気がして怖いです。
(最近『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』を読んでいるのですが、とても面白いのでこの手の研究に興味が有る方にはオススメです)
また、嫌悪の対象になると mPFC が働かない、という事であれば、逆に mPFC を上手く刺激すると、嫌悪の対象を人間的に扱えるようになったり、モノを人のように(大切に?)扱うようになるのでしょうか?
これはもう10年も前の論文ですし、最近の論文を漁ればもっと面白い(論争を巻き起こしていそうな)論文がありそうです。