読書メモ:『意識はいつ生まれるのか』
「意識とは何か、どうすれば測れるのか?」という謎に対して
意識に関して唯一、真に有望な基礎理論
とされる統合情報理論扱って迫るポピュラー・サイエンス本。
興味深い題材がとても読みやすく書かれており、楽しめました。
人体というのは本当に面白いなぁ。。。
- 作者: ジュリオ・トノーニ,マルチェッロ・マッスィミーニ,花本知子
- 出版社/メーカー: 亜紀書房
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: 単行本
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以下、キーワードやポイントの簡単なまとめ。
統合情報理論
本書の骨格となる理論であり、以下のような主張を掲げている。
ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識がある。
この論によると、意識を生み出すには、豊富な情報を統合して単一の状態に落としこむ基盤(人間で言えば脳、特に視床・皮質系)が必要である。
「単一」というのは重要であり、「意識(=私という存在)」は常に1つの状態として経験される。
ところで、小脳を摘出しても意識が保たれるのはなぜか
小脳は、ニューロンの数で言えば最も大きな神経組織ではあるが、意識とはほとんど関係がなく、摘出しても意識は保持される。これは、小脳の機能はそれぞれがモジュール化され、独立して入力と出力を処理しており、情報の統合指数が低いため。
人の意識の有無の測り方
大脳皮質ニューロンの集合体を直接刺激し、その反応の広がりや複雑さを観察することで測定できる(感覚系の機能の有無と意識の有無には関係がないため、直接大脳皮質を刺激する必要がある)。
例えば、覚醒時に脳の一部に刺激を与えると、脳の他の箇所にも反応が見られ、かつその反応の仕方はそれぞれの箇所で異なる。対して、ノンレム睡眠時に同様の刺激を脳に与えても、脳の他の箇所には反応が見られなかったり、刺激を与えた箇所と同じような反応が見られるだけになる。
意識の単位Φ
あるシステムがあらゆる方法で揺さぶられたとしたら、どのような反応をしうるか、を示す数値
潜在的に持つ選択肢の数によって左右されるため、ある瞬間に実際にどのような選択がなされたかは関係がない。
例えば、ある写真に対して「これは猫の写真である」と人間が判断した場合、その判断の裏には「犬ではない」、「鼠ではない」、「風景ではない」、「背景に車が写っているが、メインの被写体ではない」…などといった膨大な可能性の排除が行われており、その潜在的に持っていた可能性の大きさがΦの大きさを示す。(不適当ではあるが)このような写真の内容を判断するという例でΦを測定し、判断を行っている存在が人間か AI かを判定するには、多種多様な写真を見せて、どれだけ豊富な反応をしうるかを観察することとなる( AI ならば判定できる写真の種類に限りがあるはずである)。
外部からの刺激に対する反応によって定義される、というのは妙な気もするが、実際には物体の質量も「力が物体を動かそうとするときに、物体の慣性によって生まれる抵抗の値」という定義なのでそれほど奇妙ではない。
哲学的ゾンビ
外部からのいかなる観察によっても、普通の人間と見分けることはできないが、意識を持たない存在。「意識を持たないという一点以外と人間と同じ機能を有する」とも言い換えられるが、これはつまり、哲学的ゾンビ自身は自分には意識があると確信している(人間が、自分に意識があると確信しているように)ということを意味する。そして、本当は意識がないのに、あると思い込んでいる(思い込むことができる)モノの存在を仮定すると、人間自身が、自分たちの意識の存在を確信していること自体が勘違いである可能性が提示される。
※ 最近以下の漫画がバズったので、知っている方も多いかもしれません。
デジタル・ゾンビ
Siri のような音声応答システム、パーソナル・アシスタントが十分に発達し、チューリングテストに文句なく合格するような AI ができた場合、それは意識を宿していると言えるだろうか?脳の機能を電気回路で再現構築できたら、それはどうだろうか?
そもそも意識とは何か?を考える上で、哲学的ゾンビと併せて興味深い題材であり、かつ将来的な現実味がある。